2015年4月18日土曜日

萩焼 湯のみ

萩焼 湯のみ
手頃な湯のみはないかと押し入れを捜していましたら、こちらが出て参りました。
萩焼 湯のみ
未使用で保管されていたのですがここ20年ぐらいの物ではないかと思います。
「一楽二萩三唐津」と謳われるほど、茶人好みの器を焼いてきたことで知られる焼き物である。萩焼の特徴は原料に用いられる陶土とそれに混ぜる釉薬の具合によって生じる「貫入」と使い込むことによって生じる「七化け」がある。貫入とは器の表面の釉薬がひび割れたような状態になることで、七化けとはその貫入が原因で、長年使い込むとそこにお茶やお酒が浸透し、器表面の色が適当に変化し、枯れた味わいを見せることである。

まったく未使用で眠っていたようでキレイなままでしたが、これから楽しませていただこうと思います。

さて、萩焼に付いて少し調べてみると、さすが人気も伝統もある焼ものなだけに、多くの逸話が残ってるようで、調べているだけでも面白いものでした。
 萩焼と聞いて思い浮かべるのは、オレンジ色の土の色でひび割れの入ったものという印象だったのですが、どうやら、それは初期の頃のものだそうで、明治維新以降、長州藩の御用窯であった萩焼は藩の後ろ盾を失い次々に閉鎖されていったそうです。そして、時代が代わり西洋の文明がもてはやされ初め、ますます衰退を余儀なくされたそうです。
 そこに登場したのが、10代三輪休雪(きゅうせつ)毛利家から大きな窯を任されてきた三輪家の当主でしたが、休雪は萩焼の復興に執念を燃やしていました。そして、上薬の溜まりが白く焼き上がる事に気が付き、真っ白な焼き物を作るべく試行錯誤を重ね真っ白な焼き物を完成させます。
それは一世を風靡し、萩焼といえば誰もが真っ白を思い浮かべるほど普及したそうです。
 そして休雪さんは[土みせ]と言われる白の間から土を覗かせる技術も開発。新しい萩の形を生み出したそうです。
 時代を見抜く目をもった天才のように語られていますが、只、商業的に成功をおさめた事よりも、自身で生み出した流行の白の間から、伝統的な土を覗かせる事により、新しい感性と伝統との融合をはかった休雪さんは、萩の焼き物や、その土地を本当に愛しておられたのではないかなとおもいました。
 写真の湯のみも白の下には土色が見えています。
 手作りのぬくもりを残すためと言われている手の後(まだ柔らかいうちに手でもってあえてその後を残すそうです。)もしっかりございます。
 また、他の特徴に高台といわれる裏側の台がございます。萩焼の見本となった朝鮮半島の高麗茶わんは、先祖をまつる供え物を盛った祭器だったそうで、高台が継承されています。またそれは、江戸時代に流行し、各自いろいろな高台の形を工夫したお陰で、茶の湯の席で飲み終わった後に裏を見るようになったともいわれているそうです。
 そして、この特徴的な切り込み。
萩焼 湯のみ 切高台
 こちらは、湯のみに付属していた冊子によると、
「〜切高台について〜
萩焼は萩藩(長州藩)の御用窯として発展し、日常雑器はほとんど作られず、庶民は使用できませんでした。その後、傷物なら使ってもよいということでわざと刀で傷を入れ、切高台とし庶民にも普及しまていきました。その他にも、2.3説がございますが、その名残が萩焼の特徴の一つになっています。最近は過多な傷を入れず、また違ったイメージを出したものもございます。」
との事でした。
 こちらも、本当ならば、庶民にも使ってもらいたい、喜んでもらいたいと思った作り手がお上にさからうことなく、うまい事いい訳をしたという落語の様な話ですが、とても日本人らしくて素敵な逸話だと思います。
  
 焼き物の事など、ど素人なのですが、また一つ一つ勉強させていただくついでにこちらでご紹介ご報告させていただきますので、よろしければお付き合い下さいませ。

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