当店が和菓子屋を創業いたしましたのが安政三年とつたわっています。当家自体も、初代金谷正廣である金谷庄七が金沢から京都へ出て来て(元は金物屋だったので金谷という屋号になったそうです)始まりましたので、当時からの物も数多く眠っています。いわゆる宝物のような物はありませんが、明治初めごろからの古い道具が沢山ございます。

こちらは比較的近年の物が置いてある場所から見つけキレイにしてみました。宝瓶と湯さまし、それに五客のお茶碗のセットになって箱にはいっておりました。
有田焼、佐賀県の有田町を中心に焼かれている焼き物で、伊万里港から出荷されていたため、伊万里とも呼ばれているそうです。
古美術の世界でも古伊万里、初期伊万里などといわれ江戸時代の物は高値で高値でとりひきされています。
私も印象としては、青の染め付けと中期に代表される唐草文様が、中国的ではない丸みを帯びた線で描かれ、しかし何処か異国情緒の漂うオシャレな磁器という印象でした。
こちらは、恐らく近年の物で、作りも素人目には少々あらあらしいように思えます。
外箱には有田焼 御煎茶器 瑞祥 と表記があり、あけてみると山水画が描かれたものでした。
しかし伊万里の特徴である、にじんだ染め付けの青い色、米のとぎ汁を目指したといわれる完全では無い白色。大陸のからの影響での山水画もすこしぼやけた細かい線で日本的な可愛らしさを感じられます。また、御煎茶、玉露を楽しむのにちょうど良い大きさに作ってあります。
メインの宝瓶はこちら。

後ろからみますと

玉露にちょうど良いサイズで茶漉し穴は大きめのサイズで30前後あいています。

手持ちの京都の朝日焼の宝瓶は小さな穴が150ですから、おおざっぱな作りですが、所変われば御茶も変るように九州も御茶の産地で有名ですので、九州の御茶には丁度良く作られているのかもしれません。
御茶の販売をされている方に御聞きしたのですが、急須と湯冷まし、茶碗はできれば同じ素材の物を使う方が良いとされているそうです。磁器も天然素材で出来ていますので、茶を入れた時に出る土のミネラル成分が土や物の時期により違うので、味が変わるそうです。まさか、そこまで自分の舌に自身はありませんが、産地に行き、その土地の空気の中で味わうものはやはり違うように感じます。

御茶碗は五客セットになっていました。飲み口は薄くて僅かな湾曲で口当たりは大変いいですが、何故かかなりざらついている(飲む時は解らないですが、触ると解ります)のはどういった役目があるのか、またはそういった物なのか、これがたまたまそうなのか、、気になるのですが調べてもわかりませんでした。

湯冷ましはかわいらしい形。
写真では解りにくいですが、宝瓶と茶碗は渋いかっこいい図柄なんですが、これだけなんとなくジブリっぽいといいますか、線もくっきりかわいらしさを感じます。
日本人の作ってきた道具には日本人の心が宿っていると思います。和菓子は食べ物ですので、当時の現物は見る事は出来ないのですが、古い道具を知る事で少しでも伝統を学ぶ事が出来ればと思っています。有田焼はこの他にもいくつかあるので、掃除と細部点検ついでにこちらでもご紹介させて頂きたいと思っております。
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